古代の神楽
神話の時代〜平安時代
神楽の歴史は、神話から始まります。ここでは、神楽の起源として語られる天岩戸の神話から、宮中で御神楽が成立する平安時代までを順に見ていきます。
天岩戸の神話
『古事記』と『日本書紀』には、天照大神が天岩戸に隠れ、世界が闇に包まれる話があります。八百万の神々が集まって手立てを相談するなか、天鈿女命(『日本書紀』の表記。『古事記』では天宇受売命)が伏せた桶を踏み鳴らし、神がかりして踊りました。[1]『古事記』によれば、それを見た神々が笑い、何事かと天照大神が戸を少し開けたところを、天手力男神が引き出して、世界に光が戻ります。[1]
- 1天照大神が岩戸に隠れる世界が闇に包まれる
- 2八百万の神々が集まる鶏を鳴かせ、鏡や玉を用意する
- 3天鈿女命が神がかりして踊る伏せた桶を踏み鳴らす
- 4神々が笑う何事かと、天照大神が戸を少し開ける
- 5天手力男神が引き出す注連縄が張られる
- 6世界に光が戻る神楽の起源を語る説話とされる
この天鈿女命の神がかりの舞が、神楽の起源を語る説話とされています。[2]各地の神楽に「岩戸」の演目があるのは、この神話が神楽の原点として受け継がれているからです。
鎮魂祭と猿女氏
宮中では、新嘗祭の前日に「鎮魂祭」が行われていました。[2]そこでは御巫女と猿女による神楽の舞があり、『古語拾遺』はこれを天岩戸の天鈿女命に由来するものとしています。[2]神楽の本質は魂を招き、鎮める作法にあるとされ、猿女氏のほか物部氏や安曇氏など、いくつもの系統の鎮魂の作法が関わったと考えられています。[2]
「神楽」という言葉が初めて現れる
「神楽」という言葉が文献に初めて登場するのは、大同2年(807年)の『古語拾遺』とされます。[2]9世紀の終わりから10世紀の初めにかけて、石清水八幡宮や賀茂の臨時祭の神楽に「神楽」の字が使われるようになりました。[2]
宮中の御神楽の成立
宮中では貞観年間(859〜877年)に、豊楽院清暑堂で琴を伴う神の宴(琴歌神宴)が整えられました。[2]そこへ賀茂の臨時祭や石清水八幡宮の臨時祭などの神楽が影響を与え、長保4年(1002年)、あるいは寛弘2年(1005年)に、内侍所の御神楽が始まったと伝えられています。[2][3]
はじめは1年おきでしたが、のちに毎年12月の恒例行事になりました。[2]御神楽は天皇の魂を鎮めるための、祈りの性格が強い儀式でした。[2]平安時代の中ごろには神楽の様式が完成し、いまも約90首の神楽歌が伝わっています。[4]楽器は和琴・大和笛・笏拍子で、のちに篳篥が加わりました。[2]
- 1もとになった儀式琴歌神宴・賀茂臨時祭・石清水臨時祭などの神楽
- 2整理・統一される平安時代に形が整う
- 3内侍所御神楽の成立1002年(1005年とも)。のちに毎年12月の恒例に
湯立の始まり
のちに各地の神楽の中心となる「湯立」は、神前の釜で湯を沸かし、神がかりした巫女が笹や幣を湯に浸して振りかける儀式です。[5]古くは祓いよりも禊の意味合いが強く、神の意思を問う占いとして重んじられて「問湯」と呼ばれました。[5]平安時代の『貞観儀式』を見ると、宮中の行事として湯立が行われていたことが分かります。[5]